ミュージカルエリザベートと私②〜初めてのウィーン〜
ごきげんよう!楓華です。
前回は、
ミュージカルのエリザベートと出会い、
不思議な世界に魅了され、
何度も見に行き、
そして主人公のエリザベートのみならず、
ルドルフのことも好きになり、
更に、ウィーン版を見たことにより、
作品だけでなく、
エリザベートという人物や歴史についても興味を持っていく過程をお話ししました。
今回は、ついにエリザベートの本拠地のウィーンへと出かけたお話をします。
まだの方はこちらからどうぞ!
ウィーン旅の相棒とテーマについて
2014年9月下旬。
毎年どこかしらへ一緒に旅行する、
大学時代の友人ミナとウィーン6泊8日旅行に行くことに。
ミナは、エリザベートのミュージカルを見たこともなければ、
存在も知らない。
けれど、長年フルートを習っている音楽好きのため、
ウィーンに行きたい!という私のワガママに乗ってくれ同行してくれました。
また、卒業旅行でパリへ行った折に、
一緒にオペラデビューをしたオペラ仲間でもあります。
そのため、第一回目のウィーン旅行は、
“エリザベート聖地巡礼+音楽家と本場のオペラ、オケに触れる”
がメインのテーマとなりました。
簡単な日程
1日目
AM11:00。(日本時間)成田空港からウィーン国際空港へ(オーストリア航空)
当時は、ウィーンへの直行便は成田からオーストリア航空で1日1便でした。
PM2:00。ウィーン着
PM7:30。学友協会でのクリーヴランド管弦楽団の演奏会へ。
(指揮は、オペラ座総監督を揉めて突如辞めたフランツ・ウェルザー=メスト)
2日目
朝イチでザルツブルクへ。
モーツァルトの生家や住居、ホーエンザルツブルク城等観光。
3日目
個人でオプショナルツアーに参加し、
サウンドオブミュージックツアー兼ハルシュタット観光。
夕方ウィーンへ戻る
4日目
朝イチでついに、シェーンブルン宮殿へ。
昼過ぎにヴェルヴェデール宮殿へ。(クリムトの接吻)
中央墓地へ行き、音楽家たちのお墓参り。
夕食後、美術史美術館へ。
5日目
午前中:シシィミュージアム、国立図書館、シシィの墓参りへ
ランチ:デメルにて
午後:ケルントナー通りをブラブラ
夜:オペラ座で“愛の妙薬”を鑑賞(テノールが上手すぎて拍手が鳴り止まず、『人知れぬ涙』を2度歌ってくれたのが最高の思い出。)
6日目
午前:王宮家具博物館へ
午後:ベートーベンハウス、プラター公園、ウィーン市民公園など
7日目
朝:早起きして、ウィーン少年合唱団の立ち見無料券GETし、ミサに参加。
昼過ぎの便で成田へ。
8日目
成田着。旅行終了。
基本、毎日早起きし夜はギリギリまで遊び、
よく動き回った充実した8日間でした。笑
エリザベートゆかりの地
シェーンブルン宮殿
言わずと知れた、ウィーンの一大人気観光地です。
中心地からは少し離れていますが、地下鉄U4で行けるのでご安心を!
シェーンブルンとは、「美しい泉」という意味で、
ハプスブルク家の夏の離宮として、1696年に建設が開始されました。
宮殿なので、建物はもちろん立派で豪華ですが、
お庭も広大で美しく、温室や迷路、動物園までもがありハプスブルク家の栄華を感じられます。
宮殿の建物内には1441部屋あり、一般公開されている部屋は40室。残念ながら撮影禁止のため写真はありませんが、
エリザベート(シシィ)や夫のフランツの暮らしぶりが感じられる部屋がたくさんあります。
例えば、『フランツの執務室』。
ここは、皇帝の仕事部屋だとは思えない、地味な内装の部屋です。派手なことを好まず質実剛健なフランツの人柄が分かります。
また、仕事をする机の上にはシシィや娘・息子・孫たちの写真が飾ってあり、家族への愛が深いことも垣間見えました。
シシィへの愛は、彼が息を引き取った寝室にも現れていました。シシィの肖像画がいくつも飾ってあり、皇帝という立場上シシィに窮屈な思いをさせてしまったが、心から彼女のことを思い、愛し彼女の死後もその思いは変わらず、最期はシシィの絵に見守られ、シシィとルドルフ(とトート?)の待つ黄泉の国へと旅立ったんだなぁ感じました。
また、『皇妃のサロン』は、
エリザベートの応接間として使用された部屋です。
黄金と白で彩られた内装と、優雅な家具が並んでおり、夫のフランツの執務室との差、夫婦の好みの差を感じます。
面白いのが、鏡の前に時計が置いてありますが、文字盤は逆になっています。鏡を通して見ることにより正確な時間が読めるのです。お客様とお喋りしながらも、鏡に写った自分をふと眺めつつ、時間をさりげなく見てたのかなぁ。シシィ自己肯定感高いなぁなんて思いました。
もちろん!?ミュージカルエリザベートの一場面の部屋もあります。
革命家?の母親がフランツやゾフィに謁見し、
「息子は自由と叫んだだけ!お慈悲を陛下。死刑はやめてー!」
と叫んだであろう『胡桃の間』(フランツが謁見で使った部屋)や、
薔薇の天然水やミルク風呂の準備をさせ、
「皇后はどこだ。話したいことがある」
「奥で御髪を整えておいでです。お声は聞こえますでしょうから〜」のシーンの
『鏡の間』もあります。
※ただ、ミュージカルのような煌びやかな部屋ではなく、髪をといてもらい、メイクを施し、着替えをするための部屋。というようなシンプルな部屋です。
他にも、結婚式の夜の舞踏会が行われ、ゾフィとマックスが、
「娘(息子)に合わない。」と言い合ったり、
来賓が「扱いやすそうな子。田舎娘ね。」なんて噂話したであろう大ギャラリーもあります。
エリザベートのミュージカルを思い出しつつ、
登場人物の実際の足跡を辿り、実在した彼らに思いを馳せることが出来ます。
ただ、大人気の観光地です。
日本人含め色々な国の団体客が来るので、
朝一での訪問をお勧めします。
じゃなきゃ思いを馳せる暇もないくらい人並みに飲まれます笑
シシィミュージアム
こちらは、ウィーンのド中心にある、
ホーフブルク内にあるシシィに特化した博物館です。
1階に銀器コレクションがあり、そこを抜けないと2階にあるシシィ博物館に行けないという時間がない時には困った作りです。
私は、銀器にはあまり興味はないのですが、
金が施された大きくて立派な燭台や、
陶器で出来たボンボニエールには目を奪われました。
あと、こちらの“夜のボート”感ある陶器にも…笑
シシィ博物館は、撮影禁止のため写真はありません。
主に、シシィのドレスやグローブ、日傘などの使用したもの、愛用品が展示されており、
彼女のスタイルの良さや生活を感じることが出来ます。
デスマスクなんかもありましたよ。
また、イヤフォンガイドにてシシィの私記の和訳が聞けるので、彼女が宮廷でどんな精神状態で、何を思っていたのかを知ることもできます。
シシィが乗っていた電車の一室を再現したものもあり、彼女の旅を模擬体験することもできます。
彼女の無邪気な少女期から絶望に満ちた晩年までの歩みを窺い知ることが出来ます。
もちろん!?ミュージカルのエリザベートのいちシーンを彷彿とさせるものも。
“私が踊る時”でシシィが着ているドレス(ハンガリー女王戴冠式で実際に着用したドレス、写真の蘭乃はな着用のドレス)のレプリカや、
シシィが倒れ、ドクトルゼーブルガー(トート)が駆けつけ、
「今こそー出かけよー黄泉の国へ!」と嬉々としてトートが歌うシーンの体操室。
これが、実際にシシィ博物館には再現されています。
木製の吊り輪や鉄棒(木棒?)などの王宮の雰囲気とのなんともミスマッチな体操グッズが展示され、
シシィ本当にダイエットに励んでたんだ。
頑張っていたんだ。と知ることが出来ました。
宮廷家具博物館
ちょっと地味ですが、超オススメスポットです!
元々は、マリアテレジア時代に、ハプスブルク家の宮廷家具を保管しておく場所として1747年に設けられた場所です。
ハプスブルク家の皆様が使った、
ありとあらゆる家具、
(机、椅子ベッドは勿論のこと、チェスや写真のオマルなんかもあります!)が所狭しと、並べられています。
正直有り難みが感じられないレベルで大量に置かれてます笑。
他には、ソファーのような車椅子(晩年のマリアテレジアが使用)や、豪華なピアノ、肖像画に彫刻もあります。
そして、なんといってもここはシシィグッズが充実しています。
写真OKな上に、観光客が全くいないため、
じっくりゆっくり眺めて写真を撮ることが出来ます。
「わたしだーけに!」と歌った後に顔を隠した扇も、
晩年の場面で手放さなかった日傘もありました。(手前の椅子も愛用品)
あと、体重も。
エリザベートといえば!のあの肖像画もあるので、
私は、「誰もいないし…」と2ショット撮りました。
ウェストと顔の大きさ、スタイルの差に泣きましたが笑
その他にも、石像や木製のシシィ像、
御成婚などお祝い事の時の絵葉書などなど沢山あって半日ほど滞在してしまいました笑
ちなみに、シェーンブルンとシシィミュージアムとこちらの入場が出来る『シシィチケット』と言うものを私は購入し、シシィ巡礼の旅をしました。参考までに。
アウグスティーナ教会
ゴシック様式で14世紀に創建された教会です。
ただ、普通の教会ではなく、
ハプスブルク家の歴代皇帝の結婚式が行われてきた宮廷付属の教会なのです。
また、地下の納骨堂には、ハプスブルク家の54個の心臓が銀製の壺に納められ安置されているそうです。シシィのもあるそうですよ。
アウグスティーナ教会では、
「1854年4月24日午後6時半、黄昏時の結婚式。だが、このカップルにはぴったりだ」
とルキーニが語るように、シシィとフランツの結婚式も執り行われました。
宮廷付属の教会ですが、豪華だったり派手だったりはしません。また、広さも広すぎず狭すぎずの程よい広さです。
壁や柱の白と、暗いトーンの木製ベンチ、そしてシンプルながらどこか豪華さもあるシャンデリアのコントラストが上品で綺麗です。
パイプオルガンはロココ様式に美しく装飾されておりますが、
いい意味で目立たず、控え目な印象です。
すこし、地味な教会ですので、
シュテファンと比べると観光客は各段に少ないです。
そのため、この教会のバージンロードを歩いた時のシシィはどんな気持ちだったのかな?
「幸せになりましょう!二人で馬に乗り、世界中旅する。何者にも妨げられず!」
と最愛の人との楽しい“これから”に胸を躍らせていたのか。
「義務の重さに夢さえ消える。ってフランツ言ってたけど本当かな。夢はそこに!とか言っちゃったけど大丈夫かな…」
と不安を抱いていたのか。
歴史あるベンチに座り、ゆっくり考えることができました。
カプツィーナ墓所
1632年の建設以来、地下の皇帝納骨堂にハプスブルク家の12人の皇帝と18人の皇妃を含む約150人の棺が並んでいます。
フランツ、シシィ、ルドルフの棺もここにあります。
しかも、3人並べられているのです。
(左がシシィ、真ん中がフランツ、右がルドルフ)
生前は、立場上守りきれなかったり、
うまく分かり合えなかったり、
結果見捨てて悲劇が起こったり、
と苦悩の多かった家族である3人の棺が仲良く横並びになっているのです。
胸が熱くなり、涙が出ました。
黄泉の国では、
最初はトートだったけど、
後から来たフランツに結局心奪われ、
そしてルドルフとも再開し、
3人で仲良く暮らして行けていたらなぁと思いました。
めっちゃトート邪魔しそうですけどね笑
“女帝”マリアテレジアのように、
大きな功績があるので、一際大きくて立派な棺も魅力的ですが、
フランツのように、
国民から愛されリンクを整備するなどの功績も残しながらも、
質素な棺でひっそりと家族と並んで眠るのも素敵だな。と思いました。
ちなみに、棺には来場者が置いたであろう、
花が手向けてありましたが、シシィが1番人気でしたね。
日本語のメッセージがあるお花もあったので、
私と同じようにウィーンまで来た人いるんだなぁと嬉しくなりました。
また、シシィの棺にはハンガリー国境の3色旗で飾られたリースも手向けてあったので、ハンガリーでの功績、人気も感じられました。
フォルクス庭園
ホーフブルク宮殿の建物の裏にある庭園です。
1823年に造られ約5,000本のバラが咲くバラ園や、
純白のエリザベート像があります。
豊かな髪を、編み上げて冠のようにヘアアレンジし、
ギリシャ神話の女神のような薄い衣装に身を包み、
物憂げな表情で上品に手を重ね座っています。
庭園自体は、それほど大きなものではないので、
エリザベート像はすぐ見つけることができると思います。
ただ、エリザベート像の前には、
小さな池?プールがあり、近くことが出来ません。
そのため、すこし遠目から彼女を眺めるしかないのです。
もしかしたら、美貌に陰りが出てきたことに気づき人目を避け始めていた頃のシシィなのかもしれませんね。
「近くで見ないで!!!」って言いたいのかも。
いかがでしたか?
ウィーンには、たくさんのエリザベートやフランツの足跡があり、エリザベートファンとしては大興奮、大満足できる観光地だと思います。
また、このようにちょっとシシィとフランツを面白おかしく使っているものも笑
(1枚目は、マダムダッソーのクオリティ低いフランツとシシィ、
2枚目は、プラター公園にあった顔出しパネル)
次のエリザベートと私③では、ウィーンだけでなく、
オーストリアの他の都市で見つけた、彼女の足跡について、
④では、ハンガリーで見つけた足跡について、
お話ししたいと思います。
私とエリザベートは、まだまだ続きますよ!
なお、今回はエリザベートと私という題で書きましたので、
基本的にはシシィとその周辺の人々のゆかりの地、物を中心に今回はお話ししました。
しかし、ウィーンには、音楽やカフェ文化、他のハプスブルク家の皇帝、ワインやビールなどなどエリザベート以外のたくさんの魅力があります。
それについては、また別の時に書きたいと思います。
それでは!ごきげんよう
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